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周恩来旧居
 周恩来旧居は、淮安市西北隅の駙馬巷内に位置している。1979年3月5日に、正式に対外開放された。1984年12月11日に、鄧小平は「周恩来同志旧居」という横額を書かれた。1988年1月に、国務院に全国重要文化保護財と公表された。

周恩来記念館
 1992年1月に落成している。鄧小平は館名を書かれ、江沢民、李鵬、李先念、楊尚昆などの同志は、記念館のために記念言葉を書き記した。周恩来記念館は、中華人民共和国建国首相周恩来を記念するために創立された大型記念館で、世代偉人の周恩来の風采を現す雄大な記念碑である。

青蓮岡遺跡
 青蓮岡遺跡は、江蘇省文化財保護単位である。淮安区から北東30キロの宋集郷青蓮村の破棄黄河辺に位置している。1951年に発見かつ発掘された。青蓮岡遺跡の発見は、東南部沿海地区の原始文化を中原黄河流域の諸原始文化と有機的に結び付けて、地域において一体と連接して、我が国の新石器時代文化の完全体系を形成している。現在、当遺跡の上に「青蓮岡文化財陳列室」が建ててある。

漂母祠
 漂母祠は城内古枚里街蕭湖湖畔に位置して、元々明朝に建てられ、清朝に何度も修繕され、1982年に再建されて、敷地面積は800平方メートル、祠の享堂は切妻構造、リフトビームタイプで、表広さは3軒11.3メートル、奥行きは7桁6メートル、キャノピーの高さは3.2メートル、殿中神台彫塑漂母及び左右の侍像は3基ある。

文通塔
 文通塔は淮安区古城西北隅勺湖公園内に位置している。元の名称は尊勝塔で、唐中宗景竜2年(西暦708年)に初めて建てられた。明の崇禎2年(西暦1629年)に修築される時に、その側に文通寺があるため、文通塔に改名された。1668年(清の康煕8年)の郯城大地震の時に、文通塔はただ2層だけ残って、その後、再建の時に、ただ7層しか修築しなかった。現在の塔は煉瓦構造で、梁柱がなくて、高さが23メートル、七層八角で、外形はイエローボディー・青ひさしである。1982年に江蘇省文化財保護単位と並べられている。

呉承恩旧居
 中国明朝の有名な小説家で、「西遊記」という中国古典文学名著、神話小説の作者である呉承恩の旧居で、淮安城西北の河下打銅巷の最南端に位置している。
 旧居の前部分は日常生活区と分けられて、敷地面積は9875.55平方メートル、建築面積は392.77平方メートル。呉承恩旧居の表門には一枚の横額があって、その上に「呉承恩旧居」と書いてあり、元の中国書家協会主席舒同に書かれたものである。
 竹巷街の入口には、「呉承恩故里」という鳥居型門がある。鳥居型門は4柱3門で、2組の対聯があり、その一組は、呉承恩故郷――淮安河下の傑出した人物、有名な勝地及び深い文化沈積を説明するのである。

河下古鎮
 河下古鎮は淮安区の西北隅、古い邗溝の淮水入り口の古末口に位置して、嘗て北辰鎮と名付けられたて、淮安歴史文化都市の核心保護区の一つである。
 明・清の時代に、河下は淮北塩の集散地で、淮北塩運分司はここに設置されたことがある。また、清江督造船所が清江浦に設けられたので、河下は河川輸送機関の部品加工拠点でもあった。
 清の末に、淮北塩の集散センターが王家営の西ハに移転して、食糧の水路輸送は河川運輸から海運になったとかいう原因のため、河下は次第に没落していった。古鎮は現在、国家重点文物保護単位――京杭大運河文化財遺跡になっている。